携帯サイトのご案内

携帯電話からも
ご覧いただけます

http://www.restaurant-kikusui.com/m/

レストラン菊水の歴史

大正5年瓦せんべい屋を手広くやっていた“ハイカラで新しもん好き”の初代・奥村小次郎社長(創業者)は、ハイカラな西洋館でおいしい西洋料理を食べてもらい、「お客様に喜んでもらって、感動させたい」という強い思いで菊水館の創業を決意しました。これがレストラン菊水の始まりです。

開業当初は瓦せんべい屋の建物を改装して使っていましたが、いつかはハイカラな西洋館を建てて、その中でほんとにおいしい西洋料理を食べて欲しいと考えて、一生懸命働きました。その甲斐あって、10年後の大正15年に、自分の思いを込めた店を建てることができました。

小次郎社長は、店を作るとき、日本国内はもとより、当時西洋文化の最先端であった上海にまで足をはこんで、西洋式の料理や、建物について見聞し、勉強しました。鉄筋コンクリート造の5階建てで、外観はアール・デコ、スパニッシュなど、当時流行の諸様式を取り入れた、日本では大変めずらしいものでした。機能面でも優れ、100年、200年先のレストラン菊水を見据えて作った、小次郎社長の思いが込められたものです。本店は、平成8年に国登録文化財に指定されています。

当時、洋食屋は少なく、値段も決して安くはありませんでした。それにもかかわらず、役者さんや、ハイカラ好みの上流階級の方や、京都の方のみならず、日本中からたくさんのお客様がレストラン菊水の味を求めて、いらっしゃいました。

小次郎社長の後を継いだ、二代目・小四郎社長の時代は、太平洋戦争の真最中の大変な時代でしたが、戦時中も、配給食だけで営業し、戦後も、進駐軍相手に酒保(進駐軍の許可を得たパブ)に指定され、営業を続け、激動の時代を乗り切りました。また、小四郎社長は本店に京都初の屋上ビアガーデンを57年も前に作りました。

昭和30年に、京都大学卒業後22歳で、三代目・忠社長が代表取締役に就任すると同時に、屋号を菊水館からレストラン菊水へ、会社名を株式会社菊水とし、新たなスタートを切りました。当時、忠社長は“やるしかない”という、がむしゃらな気持ちでした。社長就任と同時に忠社長は、さっそく店の1階部分の改装に着手しました。

昭和49年には、1階部分を、全面ガラス張りの明るい、画期的なオープン・カフェ形式のレストラン・パーラーに改装しました。忠社長は、パリで街角のおしゃれなカフェを見て、レストラン菊水で再現したい、日本のお客様に驚いて欲しい、喜んでもらいたいと思ったのです。これまでのカフェのイメージを大きく変えるものでした。このカフェで現在月5回演奏される弦楽四重奏は、京都大学と京都市立芸術大学の学生さんの協力のもと、30年以上脈々と続いています。

レストラン菊水は、90余年にわたって多くの方々に支持され、今日に至っています。この先も私たちの財産であるこの国指定文化財である本店を守ると共に、創業者小次郎社長の「お客様に喜んでもらって、感動させたい」という強い思いを継承し、レストラン菊水をますます発展させていく…それが私たちの願いです。

ページの先頭へ戻る